スポーツ競技の国レベルでの強化は必要なのかね・・
最近、よく思う。
例えば・・・、
サッカー日本代表が不甲斐ない試合をする
お家芸と言われる競技でメダルの数が少ない
強いはずの競技でライバル国(厳密には意味不明)に連敗
競技人口はそれなりだが、世界レベル(これも意味不明)では弱い
という状況において、常にマスコミやら競技者からはこんな声が、出てませんかね。出てなかったらどうでもいいんですが。
「もっと国を挙げてスポーツに取り組むべきだ」
「(その競技の)協会はもっと選手育成に取り組むべきだ」
「もっと気軽にスポーツができる社会にするべきだ」
「競技の歴史にあぐらをかかず、世界に目を向けるべきだ」
「世界に通用する日本人選手育成をすべきだ」
べきべきべきべき・・、うへぇ・・めんどうくせぇ。
意味なく達観しているわけじゃないですが、こんな意見を聞くたびに
「スポーツが強いからなんだ?」
「日本人が活躍するかだなんなんだ?」
「他に金かけることあるんじゃねぇの?」
「好きにしたら?」
とかどうでもよくなってしまう。議論が嫌いなわけじゃないですが、どうも目的と手段がよくわからんようになってくるので、そんな議論を展開したくなくなる。
選手個人がスポーツで世界を目指すのは、名誉だったり、金だったり、好奇心だったり、他にやることがなかったり、他に対価を得る術がなかったり、誰かのためだったり(スポンサーとか協会のため?)、そんな理由だと思うんですが・・・。
どこに国がしゃしゃり出てくる必要がるのか?
単純に思う大きな理由としては、「国民がスポーツをすることで健康になり、医療費がかからなくなればいい」という理由しかないと思ってます。
もちろん、特定の競技の愛好者が「あのスター選手が育った国へ行ってみたい」とかで、外貨獲得というのも小さいながらないわけではないんですが・・。その他には、スポーツに必要な機材・器具の売り上げで国内メーカーが潤えばそれはそれで意味はあります。
ま、あとは国の自尊心というやつで。
そこで最初の状態に戻ると、鬼の首を取ったかのように「辞任しろ!」「責任取れ!」「期待はずれだ!」とか言うのはどうなのか・・・。
私でいうと、日本人自転車レーサー(競技の種類問わず)が海外のレースで活躍したりしたら、それはうれしい。期待していてダメだったら、ちょっと残念だとは思う。
しかしまぁ、大半の人はその選手に勝手に期待しているわけであって、スポンサーの立場にある人はごく僅かなはず(そうでもないの?)。
だからまぁ、プレッシャーを与えるのはほどほどにして、ダメだったら責めずに応援するだけにしましょうよ、と・・。
いや、そんだけのことです。
しかし、医療費軽減のためにスポーツに国家レベルで取り組むのはいいことです。
国民全員が程度の差はあれアマチュア選手になり、それなりに健康体。生活するうえで「趣味」としての生きがいともなる。一部のスゴいアマチュア選手は、国家公務員待遇でスポーツアイコン(偶像)として国内・世界を問わずに活躍する。
これが素晴しき理想的な状態。
なんだそりゃ、社会主義国家か?
ん~、気持ち悪い。
オリンピックとかで
「国民の期待に応えたいと思います」とか
「世界に日本のレベルを・・」とか
そんな言葉を選手が言ってるのを聞くたびに、
「リラックスして、楽しんで来いよ~」
なんて思う私。
== 蛇足な追記 ==
私としては、「日本の子供の数学力が世界で○○位に低下!」「日本の経済競争力が・・・」みたいなのは、はっきり言って「どうでもいい」ことです。生産するための元となるもの(燃料から肥料やら全て)を含めた食料自給率の方が大事だろうよ・・・。
とか思ってます。
あんま熱い議論を交わすつもりもないので、ただ書いてみただけの記事ということで・・。
>医療費軽減のためにスポーツに国家レベルで取り組むのはいいことです
これは初めて目にしましたが、軽く感動しました。そうか、そんな取り組み方もあり得ますね。
・・なるほどねー。
by kert (2008-01-10 00:28)
もう一つの見方としてスポーツは産業で新しいスポーツが盛んになるとそれを取り巻く経済活動が大きくなるということ。
良いか悪いかは別として、国が産業を振興し、経済を発展させて、商業活動を活性化させるのは資本主義社会の政治のもっとも優先順位の高いところにあるんじゃないかなか?
サッカーが盛んになれば一つの産業を起こすよりものすごい経済効果がみこまれるしね。
クレイジーだけど、アメリカの企業は高校生にもスポンサーしているしね。
まぁそれがいいのかどうかは??だけどね。
それとスポーツにをもっと感情的に考えると、やっぱり感動はするよね。
ましてや自分の国の選手が活躍してくれれば自尊心もくすぐってくれるし、”よーし俺も”みたなところも。
残念だけど、いい選手を育てるのには亀田家みたいな家内工業では生まれにくいっていうのは現実だしね。
by Bee (2008-01-10 08:25)
ジレンマですね。
私と同じ階級の柔道選手がオリンピックに出場する場合、私は「国のバックアップ」が欲しくなります。我々の代わりとして参戦している以上、最高の状態で挑んで欲しいと思いますから。
ただ、私の考えの根底には「スポーツは遊びだ」というものがあるので、その遊びの部分を切り詰めてしまうのには抵抗があります。
また、国家を代表してプレーしている選手の中には、「自分のしている事は遊びだ」という意識を持っている人間はいないはずです。一時期、オリンピックに行く選手が「楽しんできます」という発言をしていた時期もありましたが、今はそういう選手もいなくなりました。世論がそういった発言を許してくれなかったとも考えられます。
競技から楽しさを取ったら地獄のような苦行だけが残りますね。
ただ、ココくんさんの言うとおり、オリンピックで活躍すれば、その競技は活性化しますよね。私は経済活動は別にあまり気になりませんが、競技が活性化するのは非常に嬉しいし、またそのために一流選手たちは「自分が何をしなければいけないのか」を十分に認識してたりします。だから苦行に耐えたりしてます。
いずれにしても、一筋縄には行かない問題ですかね。
by 馬面 (2008-01-12 09:59)
同じく自給率の低さには、ヤバいだろ、と思う今日この頃。
「国民のために…」
人は人より優れていることを示したい。
それを他人に押し付ける側、それを使命と思う側。
試合を優越感獲得試合にしている観客、
自分の達成感のために試合に臨めない(臨まない?)選手、
というところは各々気づいていないですね。
僕もハッと気付かされました。
by テラ (2008-01-13 10:07)
>ココくんさん
私個人としては、これが国家にとって最大の目的だと思います。
もちろん、正式な軍隊を持つ国家はもう少し違うんでしょうが・・・。
>ココくんさん
産業の活性は大きなことですが、個人的には文中にも書いたとおり、要約すれば「衣食住を重視すべし」くらいにしか思っていません。国家の弱体化は国民の安全を揺るがすかもしれないので、もっと重要視した方がいいのかもしれませんが。感動は大事ですね。ただ、私は所属国には関係なく感動するので、あまり「日本人だから」というのは無いんです・・。
>馬面さん
オリンピックと、特定の競技の世界選手権とかでは意味合いが違いますが、「競技をやるもやらないも個人の自由」という考えなので、あまり国がどうこうすることではないようにも思ったりします。おっしゃるとおり、結局はジレンマであって矛盾を抱えることになるんですよね・・・。正しい答えなんてものはありません。
>テラさん
食料自給率は、エネルギー自給率と切って離せない問題なので、正確な数値を出すのは難しそうですね。私個人は、「最悪、自分(と家族)が食うものはキープできる生活基盤を作りたい」と思っているので、食に関しては(味ではなく)気にかかります。もちろん、田舎に帰ってからしか実行に移せないんですが。
応援するのはいいことですが、押し付けるようなことが多いのが嫌いなんです。競技者も何が目的なのか分からなくなっているのでは・・なんて。サッカーの強烈なサポーターとチームの関係を見ると、さらにわけ分からなくなります・・。
by arukakat (2008-01-13 14:57)
国によっては今でもサッカーは”代理戦争”なんですよね?
そーゆーのもあるのかも…。
あとまあいくら国家観が希薄とは言え近所のアンちゃんが野球大会出るんだったら応援するだろうしサポートするだろうし…それの延長なのでは。
練習場所がないならオレの庭使ってくれい!みたいな。
楽観的すぎ?
あとはまあ金が儲かる人が居るからですかね。
by nal (2008-01-15 10:57)
>nalさん
「応援するのはいいけど、ダメだったから叩くっつーのもねぇ・・。」という感じなんですよ、単に。金が絡む(ビジネスとして)ならよく分かるんですが、そうでもない人が鬼の首を取ったかのように責めるのは・・と。
代理戦争としてのスポーツであれば、いっそそれを戦争として欲しいとか思ってます。それこそ、「国の威信をかけたスポーツ」ですが。
by arukakat (2008-01-15 22:04)